由来

高砂緑地

JR茅ヶ崎駅から南へ約200メートル、静かな住宅街の中にひときわ背の高い松の木立が広がる緑豊かな「高砂(たかすな)緑地」があります。
茅ヶ崎では、明治時代から昭和初期にかけ海水浴や避暑の好適地として盛んに別荘が建てられました。高砂緑地の一帯は、オッペケペー節で一世を風靡した人気新劇俳優の川上音二郎・貞奴夫妻が明治35年頃に住まいを構え、「萬松園」と名付けました。緑地の中に今も残る石の井戸枠は、川上別荘のものと伝えられています。
大正時代になると、財界で活躍した原安三郎氏(元日本火薬株式会社会長)の別荘「松籟荘」(しょうらいそう)となり、南欧風の洋館や日本庭園を持つ、茅ヶ崎でも有数の別荘地として知られるようになります。
昭和59年、敷地を茅ヶ崎市が購入し、往時の別荘地の景観を良く残す緑地公園として市民に広く公開されるようになりました。

 

松籟庵

高砂緑地内、日本庭園の一角に建てられた茶室・書院が「松籟庵」(しょうらいあん)です。
平成元年、岩田孝八氏(スーパーマーケットチェーン「長崎屋」の創設者)のお母様が亡くなられた折りに、「生前の70年間、茅ヶ崎市にお世話になったお礼に、末永く茅ヶ崎に残る有形物を」と1億円を市に寄贈されたことをきっかけに建設することとなり、あわせて日本庭園の整備も行い、平成3年の文化の日に開館しました。
建物は、茶室と書院を渡り廊下で結ぶつくりで、茶室は京都にある裏千家の代表的な茶室である「又隠」(ゆういん 国指定重要文化財)を、書院は表千家不審菴の「松風楼」を写しており、茶事を行うことができる本格的な施設です。
日本庭園は、旧原別荘(松籟荘)時代に作られた庭園をそのまま生かしています。廻遊式の純日本庭園で、泉池・築山・石橋・梅林などが配され、築山の頂きには、奈良・薬師寺の三重塔を忠実に模した十分の一サイズの小塔が据えられています。庭園の周囲に広がる松林とも巧みに調和が図られ、見事な景観を作り出しています。
園内をめぐると、点在する石灯籠が目を引きます。これらは、造園に際して原安三郎氏と親交のあった政財界の人々から贈られたものといわれ、姿・大きさの異なるたたずまいが庭園に興趣を添えています。ほかにも松尾芭蕉や小林一茶の句碑があり、これらの石造物をたどりながら散策するのもこの庭園の楽しみのひとつです。
新春の梅、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色-四季折々の表情も豊かで、市民の憩いの場として広く親しまれています。

 

 

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